4.14天声人语
4.14天声人语天声人语
翻译者:洪国辉(崇祯888)chongzhen888@hotmail.com 13843259923
「大江(だいこう)に歌罷(や)めて 頭(こうべ)を掉(ふ)って東し……」。後に中国首相となる周恩来が「揚子江に歌うのをやめ、意を決して東の日本に向かい」と詠んで国を出たのは1917年、19歳の秋だった。
翌春、東京高等師範学校を受験したが落ちる。気晴らしにでかけた日比谷公園で、ふたりの小学生の女の子が草花を植えながら遊んでいる姿に接して感動した。「中国人は口を開けば『東洋(日本)は襤褸(ぼろ)の邦』というが、よく考えれば、日本がどうして襤褸であろう」(『周恩来 十九歳の東京日記』小学館文庫)。
故国で聞いた日本と直接触れた日本とは違っていた。この若い日の「発見」は長く心に残ったのではないか。
中国で反日デモが広がっている。投石、飲食店の打ち壊し、暴行などの犯罪を治められないのでは反日の動きと国との関係も疑われる。今の日本の実像を知った上での暴走とも思えない。
周首相は日中国交正常化の20年近く前に述べた。「最近の六十年の歴史では、中日両国の関係はよくありませんでした。しかし、これは過ぎ去ったことであり、また過ぎ去ったこととしなければなりません……われわれの子孫に、このような歴史の影響をうけさせてはなりません」(『新編 周恩来語録』秋元書房)。否定を避け相手を呼び込む。懐の深さと老練な術(すべ)を思わせる。
そして続けた。「われわれ自身の内部から平和の種子を見出さねばなりません。その種子はあると思います」。過熱する中国だけではなく、「われわれ」の一方である日本の側も、改めてかみしめたい言葉だ。
“大江歌罢掉头东……”。在以后成为中国总理的周恩来吟咏着:“停止了对扬子江的歌唱,决意东渡日本”。当时他出国时,正是1917年、他19岁的那年秋天。
第二年春天,周恩来报考了东京高等师范学校,却不意落榜。为了散心,他来到日比谷公园,看到二个小学女生一边种着花草、一边玩耍的身姿,深受感动。“中国人一开口,就说‘东洋(日本)是猥琐之邦’,但是,仔细一想,日本怎么会是猥琐呢?”(《周恩来十九岁的东京日记》小学馆文库)。
在祖国听到的日本和直接接触到的日本,竟是这样的不同!这个年轻的日子里的这个「发现」,永久地留存在周恩来的心中。
现在,在中国的反日示威游行不断蔓延、扩展着。由于扔石头、破坏饮食店等对于日本邦人的犯罪暴行没有及时得到控制,反日游行的动向是否会给两个国家的关系涂上阴影,也还很难确定。但是,这些对于邦人的暴行,一定不是象周恩来总理那样、对日本的现实国情非常了解的人作出的。
在约20年前,周总理在日中邦交正常化时是这样陈述的。“在最近六十年的历史中,中日两国的关系不是很好。可是,这一切已经过去了,而且我们必须让它成为过去。……不能让我们的子孙接受这样的历史的影响”(《新编周恩来语录》秋元书房)。避开不愉快的过去,热情地呼唤对手,显示了周恩来总理深厚的胸怀和老练的外交家风范。
而且,那天周恩来又接着陈述:“我们必须从自己的内部,找到和平的种子。我想,那个种子一定能找得到”。不仅仅是在现在行为过度偏激的中国,而且,即使在另一侧,作为“我们”的一方的日本,不是也应该必须重新认真体味周恩来这句意味深长的名言么?
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